管理人:ツッチィ |
私ツッチィは、長崎生まれの福岡在住です。一人でも多くの方のお役に立てればと思いこのページを作成しました。どうかよろしくお願い致しますm(__)m
このページは挨拶チャオ!と、いろんな事しちゃおをかけて命名しました(^.^) |
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皆さんはじめまして!管理人のツッチィです。このコーナーは、頑張る皆さんにお届けするツッチィの元気が出るコーナーです。約30名の部下を持っていたツッチィの朝礼やブータンのお坊さんのお話など!!このコーナーの引用は自由!もちろん会社の朝礼に役立てていただければ嬉しいです。皆さん元気に毎日を過ごしましょう!
大坂なおみの「自分らしく」
世界ランキング1位で迎えた大坂なおみの試合、いや~ハラハラしましたね(;'∀')試合開始から10分足らずストレートで第1ゲームを落とし、第2ゲームは、3セット連取も、途中の雨で流れはまたA.シュミドローバへ彼女が言うには、初めて世界ランキング1位で迎える全仏での緊張が凄かったようです。サーブは入らず逆に力が入ってしまいコントロールミス、本来の彼女の力であれば、楽に勝てる相手のはず。それが思うようにできない。彼女の試合をみる魅力の一つに、パワフルで実力がある彼女のメンタルによって試合の流れが左右する点です。通常の試合であれば、なんとか勝って欲しいと思って試合を見るのですが、彼女の試合は、なんとか自分を出してという想いで見ますよね?21歳の彼女は、そのメンタルを顔に出さなくても、試合の流れに出るので、試合を見るほうも「ハラハラ」「ドキドキ」を味わうことができ、それが魅力の一つです。運命の神様は、序盤、大坂なおみに試練を与え、中盤でA.シュミドローバに試練を与えました。ゲームズザマッチを迎えた時のA.シュミドローバの動揺は誰が見てもわかるくらいでした。サーブがまるでプロとは思えないほど入らない。そうして、試練を先に乗り越えた大坂なおみが見事な逆転勝利‼我々は、この試合で分かるように、本来力があっても、自分でその力を小さくしてしまっては本来の力が出せません。人間ですからプレッシャーはあるでしょう。その時、もう一人の自分の心を作り出して自分を冷静に観察するのです。そうして、修正していく、最後は、自分に打ち勝つものが、勝利を手にすることができるのです。それを学んで我々も、今日一日「自分らしく」あるために頑張りましょう‼‼
スッタニパータ
仏教の開祖、お釈迦様の直説がここに有ります。
お釈迦様は、人間の苦しみの原因はどこに有るのか?と言うことを徹底的に研究され悟られた。
つまり人間の苦の元となるものは、執着である。執着することによって苦しみが生まれる。
また、人間の求めている幸せというものは、苦しみを伴っている。
人間的な好き、嫌いでは無く仏の五智の思考で考え物事をとらえることによって本物の幸せを得る。
今日からこの執着について少しづつ解説していきますのでお楽しみに~
スッタニパータというのは、かなり昔のお話なので、現代風に直して考えるとわかりやすいです。
例えば、誰かを好きになる。好きになり方にも問題があるのですが
例えば執着して好きになると、好きになったがゆえにその想いがかなわないと苦しみを生じます。
例えその想いがかなったとしても永遠に一緒にはいることは出来ない。
つまりこの世に存在するもの(人も)常に変化する(いつかは死ぬ)自分の元から離れる
これを無常(常に同じではない)と言います。
この事に気づかずに執着してやまない人を無明と言います。
更に執着はどのようにして生ずるのか?
実は、この執着は、人間の5感(有)によって生じると言うのです。
つまり好きで言うと、見る(見)自分お好み(人間的思考によって分ける)によって好きになったりしますよね?これによって執着が生まれる。
臭いによって(いい臭いだと思い)執着が生じる。
聞く(いい声だ~など)によって執着が生じる。
舌によって(いい味など)によって執着が生じる。
触(接触、触れたり、さわったり、感じること)により執着が生じる。
この5感により執着が生じ執着によって苦が生じる。
執着して一瞬望みがかなってもそれは永遠では無い常に変わるんだと言うことを理解しないと行けません。
次に争いはなぜ起こるのか?
見解の違いによって起こる。また、見解に執着することによって起こる。
つまり、意見が対立するわけです。
自分の見解を持つと、自分は正しくて相手が違うんだと言うことになる
それを更に押し通していくと争いが起こると言うことなんですね~
この続きはまた次回♪
心の持ちかた 最近よく心の持ちかたについての質問をよく受けるので、このコーナーで取り上げることにしました♪
心の持ち方というのは非常に重要で、全く同じ事をしていても、
どう考えてその行動を起こすかで、その結果は大きく違ったものになります。
極端な例ですが、今度母の日がありますね~同じカーネーションをあげるとしましょう。
①ある人は、このカーネーションをいつも苦労かけているけど
お金もないしせめてこのお花をあげて楽しんで貰いたいと思ってカーネーションを渡しました。
②ある人は、何かやっておかないとうるさいし、とりあえずこれでいいかって渡す。
この時点で同じ行為でも大きな徳分の差があることはもうおわかりですよね~♪
スティーブジョブズ氏の偉大なる功績
ついにiフォン4S発売されますね!このiフォン4Sは、スティーブジョブズ氏の遺作になったと言うことで、当初の予想を覆して大人気に!このジョブズ氏ですが、アップル社を一時退社した時にルーカスフィルムを買収しピクシー社を設立このピクシー社は映画会社ですが、初のフルCGアニメ「Toyストーリー」などを世に送り出しそれがきっかけでウォルトディズニー社がピクシー社を買収そしてディズニー社の取締役となりました。
その後ピクシー社はモンスターインク、ファインデイング・ニモなどを世に送り出し映画界にも貢献しました。
そして、アップル社へ戻った時にiチューンズ作り出しそこへも映画を取り込む事により映画をどこでも観れる環境を作りました。まさに仕事と言うのは、1つ1つの点を結びつけ線にしそしてその線が結びつき面となるそれを製品化(形、3D化)する事で完成するわけですが、まさにそれを実践した人と言えるでしょう!
また、ジョブズ氏はこうも言っています。「あなたの人生には限りがあるわけだから、自分へ与えられた時間を誰かのためや流されて使うのではなくもっと自分のために使わないといけない」ジョブズ氏も56才という若さでなくなりましたので、この言葉がしみじみとわかりますね!我々も今をどう生きるか?を考え何かを成し遂げてかたちにしたいでね!そしてジョブズ氏が言うようにその日が終わったときに今日も一日よくやったと自分が思えるような毎日を過ごしましょう!
自分を信じて目標を持って努力する事が成功の秘訣
ついにj決まりましたね~松坂ヾ(@⌒▽⌒@)/
それにしても、契約金が凄いですね~6年で、61億円単純に月に1億ほど使える?(笑)
もちろん以前新庄が言ってた様にこのクラスになると、通帳を観る事はなくなる?多分いくら通帳にあるか知らな
い?
じゃないかと(笑)私も通帳を見なくていい給料が欲しいって思った事が有りましたね~自分の感覚だと、月収100万を超えれば見なくても大丈夫?だと思いますが、100万未満だと頻繁に見ないと(笑)ちょっと話はそれましたが、インタビューで一番印象に残ったのは、やはり、メジャーに入るのが夢でしたか?の記者の質問に、松阪は、僕は夢と言う言葉は嫌いです。夢はかなわない物だと思ってますから。僕はここで投げる事をずっと信じてやってきたので、今ここにいるんだと思いますと、答えています。そう、彼は信じていたんです!!松坂は以前も松坂のメジャーへの思いは小学生時代から、さらに中学時代に野茂英雄投手(元ドジャース)のメジャー移籍を見て、気持ちが高まったといっています。それから甲子園、プロと、自分として段階を経て、やっと目標に手が届くところに来た。憧れだけでなく、向こうでもやれる自信ができた。自信が出来たから夢ではなく目標になったんです。これは、今メジャーに憧れている少年たちにも、もうメジャーは夢ではないんだ!目標に出来るんだよ!と言ってる様にも聞こえますよね!彼自身、ここまで来るには相当の努力をしたと思います。そしてその頑張りは、自分を信じてるからこそ頑張る事が出来たと思うし、そしてその目標を着実に1歩1歩上ることで彼が言うやっと目標に手が届く所に来たと言う事になったんだと思うんです!特に成功するにはよくビジョンを持つ事が大事だと言われますが、彼にはまさに自分がメジャーの舞台に立つんだ!と言う明確なビジョンが持てたそしてその目標を達成するためにはそれなりの頑張りが必要だ!と自分に言い聞かせてここまで来たんだと思います。皆さんも見ましたよね!彼の満面の笑顔!我々も何もしないと何も変わることなく時間が過ぎていきます!ホント彼の笑顔、まさに自分がいつかきっとあんな笑顔になれるように!自分がどうなりたいか?そしてそうなる為にはどうしたらいいのか?まず、今自分に出来ることからでいいですから、やれることから少しずつでもやる!自分が自分に期待しないと、他の人は自分に期待してくれませんよ!まず自分が自分に期待するのです!皆さんだったらきっと、出来ますよ!今、自分は、何をしたらいいのか?を真剣に考えて悔いのない人生を共に歩んで行きましょう!!
やり続ける事は難しい、でもやり続けたからこそ今日の自分が有る(荒川静香)
やりましたね~(^▽^)
待ちに待った、トリノのメダル!!しかも、金!!( ;∀;)
カンドーシタ
あの、スブツカヤ選手の演技が終わり、得点が出て金が確定した時の
荒川選手の無邪気な笑顔がとっても素敵でしたね~
自分的には、荒川選手のスケーティングは、とても綺麗で優雅な感じが
前から好きでしたが、遂にオリンピックの舞台でゴールドメダリストに!!
5才でスケートを始め、わずか3ヶ月でスピンを覚え、1年後には
宮城県大会で優勝!!小学校3年で3回転ジャンプをマスター
日本国内では数々の頂点に立ってきた彼女ですが、
上に上がればあがるほど、ライバルは増え道は険しくなるのです。
1つの事をクリアし上へ上がると自分に近いレベルの人が
沢山いる事に気づく(そこで自分はまだまだだと思い更に頑張る)
そこで、頂点を極めると終わりではなく、新しい人若い人がどんどん出てくる
頂点を維持する事は本当に困難です。
スクール→県→国→世界へ→更に次の世代との戦い
特に頂点を極めたあとに、後の人に追い抜かれて再び頂点に立つ事は
至難の業です。
荒川選手の場合、1998年オリンピックの代表後2002年では
代表にもれ、そこから立ち上がって2004年へ世界の頂点へ
ここで本人は引退を考えたが周りの応援も有りトリノを目指す事へ!!
しかし、2004年頂点後ルール改正が有り、荒川選手の得意技の
1つイナバウアーは、得点に加算されなくなりより難易度の高い
スピンが中心へ変わり、その後順位は伸び悩みます。
そこから再び練習を重ね今日の演技の完成!!
1度頂点を極めた者が再び1からやり直す事の厳しさ
そして、遂に今日オリンピックでしかもフィギアで初の金!!
彼女が言ってました。2004年あの時「辞めなくて良かった」
やり続ける事は、難しいでも、やり続けたからこそ有る今日の自分
そして、今まで、自分を支えてくれた両親、仲間、そして応援してくれた
すべての人々に感動を与えてくれました。
その喜びすべてがあの金メダルが確定した瞬間の表情に表れてたように
思えましたね~いや~本当に良かった、━━━━ヽ(☆∀☆
)ノ━━━━!!!!
再び動き出した!!高橋尚子の復活劇
いや~凄かったですね~東京国際女子マラソン私は、マラソンはそんなに見る方でもないのですが、この前の高橋のレースは、ある意味注目されていましたし、高橋選手自身が良くしゃべる選手でも有ったので、興味津々観ていました!レース前高橋選手は、肉離れをおこして、完全な状態じゃないらしい・・・頑張れ高橋!!心の中で私も叫んでいました。後半30キロ過ぎいよいよTopグループは、3人に絞られ高橋を含めて3人39K地点に恐怖の上り坂が有るらしいそこが勝負所だと解説の人は言う。ん~なるほど、ん?37K過ぎになんと高橋が意表をついたスパート!!みるみるうちに残りの2選手を引き離していく、観いていても、「これは強い」と思わせるレース内容いや~私なんかは、馬のレースも良く見るのでまるでまくりのように引き離す!!やっぱり強いじゃないか!!私自身高橋選手は、良くしゃべるな~って思っていましたが、そのわけは、本当にマラソンが好きで、その事を全国の人と楽しく分かち合いたいと言う気持ちから来ていると言う事がホント良くわかりましたね~その高橋選手が勝った後のインタビューで言っていました!目標を持つことが大事!!どんなに小さな目標でもいいから、皆さんも目標を持ってください!!目標を持つとそこに光が見えてくる!!後はその光に向かって走る!走る!光をつかめばそれまでに辛かった事や、悩んだことも、そこに行くまでのステップだったと思える。実際高橋選手も、目標を見失いそうになった事が有ったらしいのです。高橋選手はとにかく走るのが楽しくて好きだ。でもそう思えなくなった時期が有ったらしいのです。走る事が楽しく思えなくなったときその時引退の2文字が頭をよぎる・・・その瞬間は、そしてそう思った先には闇しかなかった・・・そう言う状態から自分を奮起させ高橋選手は、33歳では有るけれども、また、走ろうと決意した。そう、目標を持ったのです!!その瞬間から光が見えてきた!!ですから、我々も、自分のこれだ!!と言う物を持たないといけませんね~人間と言うのは、自分の人生に満足ができるかどうか?が大事だと思います。満足できるようになる為にはどうしたらいいか?高橋選手の言うように、どんなに小さな目標でもいい。それが達成できたときに達成感、自分自身に満足ができるのではないでしょうか?
人を感動させる人間になる事
イチローが遂にやりましたね~メジャー安打新記録!!私も、数試合くらい前、ノーヒットに終わった時は、イチローもプレッシャーを感じているのか?イチローでは考えられない空振りとかもあったので^^;でも、やはりやってくれました!!あの達成した瞬間の総立ちの観客、テレビを見てる人の感動、いったい何人の人を幸せな気分(感動的な)にさせてくれたか、以前イチローは言ってました。メジャーに入って自分の体格は決して大きい方ではないし、その自分でも、メジャーで通用する。そして、記録が出せると言うところを見せて、子供達に希望と勇気を与えたい!!まさにその言葉どおりになったわけです。もちろんイチローには、かなりの素質もあったでしょうが、それ以上の努力を彼はしてきてます。彼の元同級生で、同じ野球チームだった坪井さんがこう語ってます。子供の頃彼のバットは、見ればすぐわかるんだ。バットに血がべっとり染み付くくらいの素振りを毎日行い。バットの打つ所がへこむほど打撃の練習をする。ある日近くの墓地で幽霊が出ると言う噂が流れ確かめに行くと、そこでは、イチローが遅くまで毎日素振りをしてたんだ!と語ってます。やはり、素質だけではいけない!こう言う地道な努力があってこそ今のイチローが有ると思うのです。どんなに素質があっても、努力を怠ると普通の人に終わってしまう。よく、自分は本当は凄いんだ!やればできるとよく言う人また思ってる人で、結局やらずにそのまま何も変わらない日々を送ってる人を多く見かけます。そう言う人は、イチローに学びましょう!!日々出来る事からやる!!思ってるだけでではイケません!!出来る事をとにかく地道に黙々とやる!この積み重ねができた人がきっと人々を感動させることのできる人になるでしょう。イチローも言ってます!自分自身の可能性を潰さないで欲しい、と、さあ今日からでも遅くありません!!頑張りましょう!!
ここで余談ですが、イチローについて、丸秘情報?私が聞いた話では、イチローの前世は誰か?なんと、あの、宮本武蔵らしいです。この話しをイチローがオリックス時代に聞き、野茂が佐々木小次郎の生まれ変わりと言う(あのトルネードが燕返し)宮本武蔵が、剣をバットに持ち変えて登場!!野茂がメジャーに行った時、野茂が行ったということは、運命的にイチローも行くのか?と思いましたが、その当時オリックスが、イチローを手放す事は考えられず、今思うとなるほど!と思うのですが、皆さんはどう思いますか???(少し余談でした(笑))
本番に強くなる秘訣
アテネオリンピック、日本人選手凄かったですね~その中でも、飛躍的に成績をのばした部門と言えば、競泳陣でしょう。競泳と言えば、アトランタ五輪では、世界選手権で常に日本代表選手が上位を占めていたにもかかわらずメダルはゼロ、その為、日本人は本番に弱いと言われたほどでした。本番と言えば、私達も、例えばなんらかの試験、学生さんなら、入試も有りますよね!ただ、本番に弱いと、普段どんなに頑張っていても、結果が出ないと報われません報われないと、腐ってしまってやる気を損ねたりしますし、本当のプロ、実力者ほど本番に強い逆に本番に強くないと、周りから認められないと言うことになります。一つの方法としては、人一倍努力をする、練習をする、勉強をするそうすると、その自分の努力した分だけ自信がつくこれも一つの方法です。ただ、逆に努力をした分だけプレッシャーに感じる人もいますよね(汗)あんなに頑張ったのにきょう失敗したらどうしようとか…結果を出さなきゃ出さなきゃとプレッシャーになる。こうなると困り物です。そこで、日本競泳陣の監督上野広治さんがアテネオリンピックで何を実施したか?それは、チーム力の強化です。競泳は個人種目個人の戦いだからチーム?と思われがちですが、個人=孤独で戦うことは非常にプレッシャーを伴い実力を発揮できにくい=アトランタの結果と考え今回はチーム力の強化に的を絞ったそうです。その結果、そのチームの中で競い合い、励まし合い、支え合った結、まず北島選手が金を取り他の選手も自分も負けられない、自分もやるぞ!と言う気持ちになった。チーム意識をもつ事で、自分が泳いでいる時も、他の選手の熱い応援も感じる事ができ、自然に普段の実力いやそれ以上の結果を残す事ができたのです(個人だと緊張して実力が出せない→チーム意識だと俺もやってやるぞーと言うエネルギーに変わる)。私の場合もどちらかと言えば、以前は一匹狼タイプなので、仲間意識、グループを組むことは弱い人間がやる事だと思っていた頃もありましたが、本来(人)と言う字が示す通り、人と言うのは支え合う事も大切!一人は孤独とプレッシャーを伴います。ですから、皆さんも、何か本当に大切な事にチャレンジする時、孤独の戦いではなく仲間意識を持つ。普段からそう言う心算で行動して見ませんか?そうすると、大切な時、やらなきゃいけない時、きっと上手く行きますよ!
高橋尚子の成功術
先日高橋尚子選手が世界記録を樹立しました。有言実行だっただけに驚かれた方も多いでしょう。私も、彼女が最初に、今度のレースでは世界記録を出しますと言ったときには、いくら金メダリストだからと言って、大胆な・・・と思ったものです。しかし彼女は見事にやり遂げました。何が他の人と違ってたのか?レースにおいて勝つことはもちろんですが、記録となると、更に大変な努力が必要になります。勝者と敗者実は、本当に紙一重なんですねー世界記録ともなると本当に勝者の中の勝者ということができるでしょう!そこで、何が紙一重か?そこにたどり着くまでは、いくつもの壁があったでしょう・・・まず、キツイ練習を乗り越える壁、そのレースに出場するという壁、本番に対するプレッシャー、前回金メダリストとしてのプレッシャー、体調管理、精神管理そういった数々の壁を打ち破ってついに彼女はやり遂げたのです。彼女はまず、自分を奮い立たせる為、有言しました。次のレースでは世界記録を目指しますと・・・マラソンランナーというのは、42.195Kを走る上で、必ず壁にあたります。途中で投げ出したい、もう休みたい、この壁を打ち破る秘訣に、彼女は、有言実行することで、自分自身にあきらめさせないという事をかせ、更に厳しい練習をすることであきらめるものか!ということを自分に叩き込み見事にやってのけたわけです。皆さん見てのとおり、35K過ぎ付近の彼女の苦しそうな表情それでも、彼女はやり遂げれたわけです。われわれも本当に苦しいつらいこともあるかも知れません。しかしそれを乗り越える秘訣は、彼女自身がやったように、いかに常に努力してるか?常に努力してれば、つらいことがあっても、あんなに頑張ったんだからという思いで、必ず乗り越えることができます!また日ごろから自分自身に期待することです!自分への期待無しに努力は出来ません。そういう気持ちでわれわれは日々頑張りましょう!!
K1優勝者マークハントのハングリー精神
先日行われたK1グランプリ決定戦に最近急成長の選手マークハント(27才)が勝ちました。彼は、サモア人ですが、ハワイ出身ではなく、ニュージーランドのオークランド育ちです。彼は非常に貧しい家庭に育ったわけですが、その貧しさは、日本のそれと、全く違うものでした・・・何が違うか?日本の場合は、貧しくてもある程度の事は保証されてますが、彼の家庭の場合は、本当に明日食えるかどうかの危機迫るものがあったといいます。そう!同じハングリーでも彼のハングリーは違うのです。彼もその貧しい中で、普通の少年と同様夢を持って育ってました。プロ野球選手になりたい、パイロットになりたい、学校の先生になりたい、しかし、彼の夢はことごとく崩れ去っていったのです。俺は何をしてもダメだ、今だ貧乏だ、しかしそれでも彼は立ち上がったのです。彼はK1の世界に夢を見出したのです。全くの無名選手が、有名選手をノックアウトするそして、あっと言う間にスターダムにのし上がる世界。俺にはこれしかない!彼はものすごい練習に耐えいつかは自分がチャンピオンにと言う夢を抱いてひたすら練習に打ち込みました。自分もK1のTOPファイターになり、この貧しさに別れを告げたいその一心で彼は頑張ったのです。しかし、行く手はたやすいものではありませんでした・・・初めてのTOPファイターとの対戦アーネストホースト彼はその戦いで必至で勝ったかに見えたしかし、結果は・・・判定負け、しかし彼はその不遇にめげず頑張ったのです。ここでも彼のハングリー精神が発揮されました。こんな事で、めげるようだったら、とっくに彼は貧しさの中で押しつぶされていたでしょう彼は当然のごとく努力を続け、不屈の打たれ強さを武器に、地区予選を勝ち上がりあのレイセフォーとの打ち合いで大衆の心をつかみここから彼の快進撃が始まったのです!彼はその戦いで、惜しくも判定で負けました。しかし、天は彼を見放さなかったのです。対戦相手のレイセフォーは、目を痛め、辛くもマークハントにチャンスが回ってきました。そこで彼は勝ちあがりついに、地区大会で優勝しました!ここでチャンスをつかんだものは何か?それは常に彼が努力していたからです。誰にでもチャンスは、めぐってくる。しかしそのチャンスをつかめるだけの準備が出来ていた者にだけその栄光は与えられるんです。いよいよK1グランプリ本戦彼は抽選で誰もが恐れた、優勝の大本命ジェルムレバンナを指名しました。その対戦で何と彼は勝ったのです!ジェロムはすでにK1のTOPファイターであり栄光もありました。しかしハントは、失うものは何もなかった彼にあるものはこの貧困とおさらばしたいその気持ちだけ・・・その差が彼に勝利をもたらしました。その勢いにのり彼はついにK1グランプリ優勝者となったのです。優勝時の彼の喜びよう!まるで夢がかなった子供のように彼は飛び上がり喜びました。彼はその時言ってました。今まで沢山の夢があってみんな夢のままで崩れ去っていったそれは自分があきらめたからだ!自分が悪かったあきらめなければ夢は必ずかなう!そう!成功の秘訣はあきらめないこと!あきらめなければ必ず成功する彼はそれを身をもって証明したのです。さらに逆境が人間を磨く、追い詰められギリギリのところ人はそこで大きな力を発揮するのです。今こういう時代ですから、逆境に立たされてる人は多いと思います。しかしそこであきらめるのか?最後まで頑張るのかであなたの真価が問われるのです!逆境にあってこそチャンスだ!そういう気持ちでわれわれは日々勝ち抜きましょう!
松下幸之助の終わりよければ成功者
どの成功者もそうですが、常に成功者でありつづけたわけではありません!例えばダイエーの中内さんにしても数年前までは大成功者だったわけですが、今は・・・そう、松下さんの場合も数々の困難を乗り越えてあの大会社松下グループを築き上げたのです。どんな困難があったのか?松下さんは、若い頃、肺尖をわずらって、非常に病弱だった・・・病養しながら、当時の大阪電灯(今の関西電力)に勤めていました。ところが、病気で欠勤しがちなものですから、なんとか2又ソケットの考案に一生懸命になった。やがて、このソケットの製造に成功したのもですから、仲間2人と一緒に独立したわけです。ところが、その独立の資金というのは、退職金や、積立金や、それまでの預金をかき集めて100円だったと言うんです^^;当時の物価が安かったとはいえ、その資金では工場にする家を一軒借り工作機械1台入れたら、もうあとがないわけです。それでも一生懸命頑張って、2ヶ月ほどたって製品が出来た。喜び勇んで売りに行くけどこれがなかなか売れないわけです。10日かかって100個売れその代金が10弱だったそうです^^;その時仲間2人は見切りをつけ辞めていったそうです(今考えると非常にもったいない話ですが)そこで、奥さんの弟さん(後の三洋電機創業者)と一生懸命頑張った。それでもなかなか売れなかったそうです。そのときの生活状態がどんなだったか?と言いますと、奥さんが着物を質屋に売って、生活をしていたそうです^^;もちろんこの時点では成功者とはいえませんね^^;ここまでは普通の人です。そしてちょうど12月今の時期ですね。質草も続かなくなり(今で言えば、ゲームソフトを売る&オークションに身の回りの物を出すと考えてください)もうどうにもならないこの時、松下さんはもうダメかなって思ったそうです。それでも頑張って、仕事をしている時に天の助けか、扇風機のガイバンの部品の注文が1000枚舞い込んできたんです!これは、急な納期の為どこでも受け付けていなかったものですから回りまわって松下さんのところに来たんですね~そこで、天の助けとばかりに、このガイバンを納期どうりに納めた。その儲けが80円これで年末が越せたわけです。すると翌年また続いて、2000枚の注文が入ったこれで、松下さんは息を吹き返したわけです。このことについて松下さんは、こう言ってます。どんな困難な仕事でも、信念と辛抱によって道が開けると言うことを自覚した。信念と辛抱は、不可能を可能にならしめる。何でもそうですよね~なかなか自分の思いどうりにならない、しかし、辛抱しているうちに回りの情勢が変わってきて、そこに通ずる道が出来るのです。その後ある程度順調に行ったさなか、この時従業員もかなり増え大きな工場を建てた、ところが建ったと思いきや、あの室戸台風で、1夜にして工場が無くなったと言うのです。もちろん多額の借金をして、建てた工場ですから、周りの誰もが、もうダメだと思ったそうです。おそらく、松下さん自身もかなりショックだったことでしょう・・・しかし、松下さんは即座にこう言いましたこけたらたつんや!と、そうです、こけっぱなしでは、敗北者です。立てばいいんやと言うことですね。そしてその後は見事に皆さんのご存知の通り、今の松下グループがあるわけです。どうでしょうか?松下さんの失敗の時期を見ると大変な失敗者で、その時の松下さんを見ると誰もが、同情しそうな感じですよね。しかし、松下さんは立ち上がったそして最後の最後まで、経営の神様として生涯を遂げたわけです。やはり、人間は、死にぎわが大切です。自分は敗北したまま終るのか?そうじゃない!自分は今はどうであれ必ず成功するんだ!必ず上手く行く!そう思って頑張れば必ず道は開けます。われわれも松下さんに見習って、辛抱と信念を持って日々頑張ろうじゃありませんか!
年をとってでも成功出来る!!カーネル・サンダース
この時期になると、いつも思い出すのが、カーネル・サンダースさんの話です。
外を歩いていると、サンタクロースの格好をした、カーネル・サンダースさんの人形がケンタッキーフライドチキンのお店の前に立ってます。本当に人がよさそうなお顔をしてますよね~彼は、ケンタッキー州の小さな町の郊外で、25年間フライドチキンを売ってました。ケンタッキー州のコービンと言う小さな町の郊外で、ささやかなお店をしてました。そこで、通りすがりの人達にフライドチキンを提供して生活していたわけです。25年間それが続きました。何事もおきなければ、そのまま、一生を終えていたと思います。ところが、25年目彼に大きな変化がおきたんです。それは、すぐ近く3マイルほど先のところに、ハイウェイが通るようになったんです。そうしますと、車に乗った人達はみなそっちへ行ってしまって、誰も通りません。とても商売が成り立たないので、もう店を閉めるしかない状態になりました。その時、サンダースは途方に暮れました。なんせ、貯金は1銭もない。しかも年齢は66歳もうとっくに仕事をリタイヤしてもおかしくない年です。さらに彼は学歴も小学校を出ただけ・・・妻とこれからどうやって生計を立てていけばよいのか?彼は本当に途方に暮れました。彼にあるのはフライドチキンを作る技術だけ・・・その時しばらくして彼に失業保険がおりました。最初の失業手当が105ドルです。彼は、妻に言いました、その105ドルの小切手を前にして、これが全財産だ。この失業手当を頼りに、これからの人生を細々と過ごしていくか、それとも、これを元手にして何かが始めるか。いったいどうしよう?彼の妻は黙って微笑んで彼を見つめ返しました。するとサンダースは、言いました。よし!やろう!私たちのフライドチキンは、アメリカ南部で一番美味しいフライドチキンなんだ。これを機会にもっと多くの人達に、このフライドチキンを食べてもらおうじゃないか!そう言って彼はおんぼろの自動車に乗って、彼の自慢のフライドチキンを売ってくれるレストランを、次から次へとさがしました。これがあの有名な、ケンタッキーフライドチキンの始まりなんですね~今、ケンタッキーフライドチキンは、年商数億ドルの売上を上げています。何が彼を押し上げたか?フライドチキンだけは誰にも負けない!その自信です。その自信を持って彼は立ち上がったわけです。後に彼はこう言ってます。その時もちろん失敗する恐れは多分にありました。しかし、失敗というのは、次により大きいよりよい何かをする為の、踏み台にしか過ぎない。そう思ったのです。誰だってその気になって探せば、あらゆる悩みの底に、あらゆる失敗の底に、成功の手がかりが必ずあるのです。それを、発見してつかんで、努力すれば、どんな人でも必ず成功することが出来ると、私の経験から断言できます!まさにピンチこそチャンスですよね~こういう時代ですから、ピンチの人は多いと思います。しかし、その時に、何もしなくて敗北するのか?自分の可能性を信じて頑張るのか?で大きく道は変わります。自分は、不遇だと思う前に、本当に自分が、落ち込むくらいの努力が出来てますか?そうでなければ、あなたはやれます!まだ、本来の力が眠ってるのです!あまりにももったいない・・・あとからそう思う前に今立ち上がるのです。そう、あとで、このピンチが、笑って話せるような、そういう未来を信じて、自分の可能性を信じて、サンダースさんも66歳からやれたのです。あなたにもやれるはずです。輝く未来へ向かって是非頑張りましょう!!
中島健吉(パチンコHAIWA創業者)先見力の勝利
パチンコで一大財産を築き上げた方に中島健吉さんがいます。あの、黄門ちゃま、富士子におまかせ等の会社ですね!中島さんは、当初パチンコで身を起こすということは、全く考えていなかったそうです。彼が、パチンコ業界に身を投じるきっかけになったのは、実は、あの、太平洋大戦争だった、中島氏は、ある新聞のインタビューに、再び間違って戦争が起きた場合でも、戦争には一切加担したくない!じゃー戦争に不必要な産業は何か?と言うとやっぱりレジャー産業です。私が、この仕事を始めた敗戦直後は、レジャーという言葉すらありませんでしたが、戦前、お祭りのときなんかには、リアカーで、運んできた、パチンコ台が並んでいた。それを思い出して、あんなことをやって見たら、と言う気持ちになったんです。パチンコと言いますと我々は、つい、偏見の目で見がちですが、実に立派な考えですよね~そこで会社名は平和を願ってHEIWAとなった!これは、中島さんの戦争に反対すると言う、強い信念がこめられていたわけです。中島氏は、日本が太平洋戦争に、突入する前夜の40年、早稲田大学専門部商科に入学、後に拓殖大学商経学部に再入学、戦後48年に、同大を卒業しました。この間は、稼ぎの良い、港湾労働や、日雇い労働などのアルバイトをしながらの苦学だったといいます。大学を卒業した翌年の49年中島氏は、群馬県桐生市に、平和商会を設立、氏のパチンコ人生をスタートさせた。そこで、彼が、パチンコ業界で成功できた秘訣は、研究開発に力を注ぎ、研究開発費を惜しまなかった彼の経営戦略が、メーカーとしての信用を勝ち得ていったんです。60年当初モパチンコ機に自動的に、パチンコ玉を還元させる還元機70年代後半から始まった、パチンコ機のデジタル化、メカトロ化を先取りしたフィーバー機(ラッキーブラボー)(ゼロタイガー)などの大型ヒット商品は、すべて、平和が、開発、販売した機種なんです。その後90年群馬県の法人所得ランキングで、群馬銀行を抜いてTOPに踊り出たのです。この成功は、すべて彼の平和に対する思いと、努力の方向性(アイデア)の勝利なんですね~同じ努力でも方向を間違えるとなかなか上手くいきません。しかし彼は、業界の先行きを見抜きいち早く察知し、すばやく対応して新機種を送り出していったそこに成功の秘訣が有るのです。成功には先見力が必要です。良く考えてみてください。ただがむしゃらにやる。それももちろん必要ですが、どこに力を入れないといけないのか?この先何が受け入れられるかという先見力をもってこそ、その努力は生きてきます。そのためには常にアンテナを張って、必要な情報を入手し、すばやく対応することで、成功できるんじゃないでしょうか?もし、毎日をなんとなく過ごしてるようであれば、自らの目標を確立しアンテナを張って、先見力を持って頑張ろうでは有りませんか!そこにあなたの成功が隠れてます。すぐに実行しましょう。そうすれば、必ず成功できます。頑張りましょう!
藤田田(日本マクドナルド創業者)の挑戦することこそ成功への近道
日本マクドナルドの第1号店は、銀座4丁目のデパートに隣接してオープンしました。その当時、アメリカのマクドナルドの考えでは、郊外型の店舗が多かった為、こんな大都会に?という考えがもっぱらでしたが、藤田氏は頑として、都市型を貫き、1号店のオープンとなったのです。しかし、デパートの都合で、どうしても、1階の工事の期間は、閉店後から翌日オープンまでの間と言うきびしい条件でしたので、アメリカのマクドナルドの責任者が視察に来た時も明日オープンだと言うのにその場所には何もない状態でした。アメリカの関係者は人を馬鹿にしてるのか?と怒りましたが、藤田氏は笑いながら大丈夫ですよ!明日には必ずオープンさせます!と答え、実は、ちゃんと対策が練ってあったわけです。早急に立てる為に、組み立て式の部品をすでに完成させていたわけです。本当に次の日お店が出来上がっていた為にアメリカの関係者はビックリしたと言います。ところで、ハンバーガーなんて、日本人の口に合うはずがない。これが、当時の大方の予想でしたが、20年後には、日本の外食産業で、初めて売上高、2000億円をクリアーしたのです。さらに、89年11月にアメリカ最大の玩具店トイザらスと提携日本に従来なかった大量販売による安売り型の玩具販売に進出!ハンバーガーと同様当時の器具や疑問を見事に覆しました。まさに挑戦者ですよね~藤田氏の成功の原点は、学生時代に知り合ったユダヤ人から商売の秘訣を学び、みずからまとめた、(ユダヤの商法)は、ベストセラーになりました。藤田氏は、東京大学法学部に在学中、ハンドバックやスカーフなどを輸入し、国内で販売する藤田商店を設立。早くからひとかどの事業者だったが、新宿などの土地を買うように何度か勧められたが、一切購入してない。株も一切やらない。と言う堅実ぶり。ただ、50年以上にわたり定期預金を続け、現在まで一回もお金をおろしていない。その額は、2億5千万以上になっているそうです。藤田氏いわく、引き出して使いたいと思ったことは何回も有ります。しかし、いったんおろさないと決めたものをおろしたのでは、自分の負け。大変な克己心が必要だった。おかげで、銀行から藤田氏は約束を守る男だと絶大な信用を得てます。これは、ユダヤ商法のひとつで、約束を守る事からビジネスが始まるということですね。藤田氏の成功の過程を見ると、感じるのは、非常に意志が堅い!自分が決めたことに責任を持ち、約束をしっかり守る。そうして信念を持って自分が決めたことをやりぬく。それがこの大成功へつながったわけです。自分には信念がたらないと思ってる方。何か1つでもいいんです。藤田氏のように貯金を絶対下ろさないでもいい。何かひとつ自分の信念を持ってそれをやり遂げたならば、それがあなたの自信となり、きっと次の目標に向かってもやりぬくことが出来るでしょう!まず1歩踏み出すべきです。そこからあなたの成功への道のりが始まります!是非頑張りましょう!余談ですが、藤田氏の名前田は非常に変わった名前と思われる方も多いと思いますが、彼の母親が、熱心なクリスチャンで、口は災いの元だから、口の中に小さな十字架を入れて田になったそうです。
任天堂社長山内溥の成功への道のり
ファミコンでお馴染みの任天堂ですが、その道のりは苦難の連続でした。任天堂といえば今はファミコン→64→キュウブですが、以前は花札トランプの会社だったことは有名な話です。その時代毎年ピンチの連続で、家業の花札、トランプで食いしのいだものの、これでは座して死を待つしかないと始めた新事業がいずれもぱっとしない。今考えると潰れないのが不思議だったと山内氏は言います。そういうレベルの零細企業でしかなかった。だが、山内氏は、この苦境期に貴重な教訓を得たといいます。企業は常に身軽でなければならない。任天堂が、昭和40~50年代の前半よたよたしながらも生き延びることが出来たのは所帯が小さかったからといいます。ところで、任天堂の成功の発端になったのはファミコンですが、このハード機どうやって生まれたか?と言いますと、本当に1つの賭けだったと言います。その当時では、あのレベルのハードを、その価格で発売することは到底不可能。しかし山内氏は、ハード(今はソフトですが)が普及しないといけないという展望がありなんとか安くということを考えたそこで勝負に出たわけです。つまり、大量販売見込による。部品(チップなど)の値切り山内氏はまだ、見込みもない段階で100万台と言う約束を取り付け価格を大幅に落とし、1大新市場家庭用ゲーム市場を築きあげたわけです。ここでも先見性+人生には勝負どころがある!と言うことですね。また、任天堂のキャラで、有名なマリオも、任天堂USA当時3~4名しかいなかった営業所で、なんとかUSA市場を開拓したい!その一心で生まれたキャラです。やはり人間というものは、ピンチに立たされた時本当に大きな力を発揮しますよね。ただ、肝心なことは、ピンチに立たされた時そこで、腐るのかいや、なんとかしたいと思った時に初めてその力は発揮されます。皆さんの中にもそういったチャンスをみすみす見逃してる人はいませんか?ピンチこそチャンスなんだ!そう思ってがんばることで、あなたの、新しい未来が開けることでしょう!我々も、山内氏の勝負勘、先見性を見習って是非頑張ろうではありませんか!
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